喫茶ブルーツリーにて、午前は交流分析アドバンス講座、午後はエンデの「モモ」に読む生き方講座。
交流分析で扱った「小脚本」、脚本は一生を通しての無意識に描く人生のストーリーを言うのだが、日々日常の瞬間にも、脚本の雛形とも言える小さな物語を、知らず知らずのうちに繰り返している。
その中に「ドライバー」と言われる「私たちが駆り立てられる脅迫的なメッセージ」があり、それに囚われることで、自己実現をしにくくしているという考え方がある。「完全であれ」「人を喜ばせよ」「もっと努力せよ」「急げ」「強くあれ」の五つがその代表的なメッセージ。
それに従う限り自分はOKだが、それが上手くいかないとNOT OKとなる。条件つきの自己承認は、その条件を満たさないと自己否定に繋がる。条件を外して「自分を許す」ことが大切だと交流分析は教える。
「モモ」では「時間というものの本質」=「命の源」を、ストーリーを通して味わい、語り合う。それぞれの人が固有に持つ「命の源泉」に気づき、それを全うすることが、全ての生命の調和「シンフォニー」を奏でる。
無理に合わせようとしたり、他者をコントロールしなくても、それぞれの持ち場を全うすることが、本物の調和に繋がる。虫の声、風の音、鳥のさえずり、木の葉のざわめき、それら自然の音のさざめきが、故意に調和を図ったものではなくても、全体として美しいシンフォニーを奏でるように。私たちの個性もそうありたい。
かつて私が手掛けた複合表現舞台「オムニバース〜複合宇宙〜」で伝えたかったのは、まさしくそのことだったと思い当たる。
そして今、私が再び音楽に携わることになったのも、同じ一つの目的ではなかろうか?自分一人の表現したい欲求のためではなく、関わる人全てのシンフォニーを奏でたい。そして言語表現の世界を持つ私が、奇しくも他者の言葉に音楽を乗せる試みに至ったことも、二十年余りを心理職に費やしたことも、全てひとつながりの営みだったのではなかろうか?
今手元に、ある方の提供して下さった歌詞がある。そのうち一編を、繰り返し読むうちに、自然に一つのメロディーが生まれた。単純でも拙くても、臆せずこのまま出そうと思っている。作為ではなく自然に生まれたままに。誰に何と評価されようとも、それが最も相応しい在り方だと確信している。
表現に没頭すると、心の内奥の蓋が甘くなる。あらゆる情動が私に押し寄せ、あらゆる刺激が私の心を震わせる。現実的な生活の中では、それはいささか不便を感じるのだが、甘んじてそのことを味わい尽くそう。お産には危険が伴う。それは産むべき時には覚悟を持って引き受けざるを得ない危険だ。自分を信じるより他はない。やり切った後には、真実往くべきところへ、やがて導かれるに違いない。
美沙落合
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