歌の準備をしながら気づいた。私は歌に没頭すると、「仕事を疎かにして遊んでいる」という罪悪感に駆られる、ということ。これには「一番好きなことをしてはいけない」という禁止令が働いていそうだ。
カウンセリングや心理学講師の仕事だけを「本業」と呼ぶのをやめてみたらどうだろうか?思い切って「歌も仕事」「私は歌手です」と名乗ってもいいのではないか?
マンボランドのオーナーに「声を張る方やね、シャウトするのね」と言われたのを、私は「何もそんなに力まんでも…」という非難と解釈してしまう。「つい力が入っちゃって、軽く歌えないんです」なんて言い訳している。オーナーは「それもいいと思うよ、個性だもん」と言ってくれているのに…。
その道だけに勤しんできた歌唱力のある人に後ろめたい、所詮片手間のアマチュアだ、と自分をディスカウントしてしまう。そこを思い切って、「私の歌を気に入る人も気に入らない人もいて構わない」と開き直らないと、また中途半端にしそうだ。
脚本のスタイルに「あと少しのところで」というのがある。いい線まで行っても完成させないで失敗にことを終える。これに「…するまでは」脚本、お金が貯まるまでは、仕事が軌道に乗るまでは、子どもが巣立つまでは、などと言ってやりたいことを先延ばしにする脚本が組み合わさると、一生自己実現をしない脚本ができあがる。
二十余年も心理職を続けてきた、その今の私に、再び歌の縁が戻ってきた理由がわかった。そんな古い脚本を手放すためだ。心理療法家の私、歌う私、二つに分断されていた自分がやっと繋がった。
折しも諦めていた亡き父の思い出の曲に再び巡り会えて、思わず涙が溢れた。これが私の歌の原点だ。そしてもう一つ発見があった。亡き恩師の許で私が脚本分析を受けていた時の資料が出てきた。当時の脚本の詳細なチェックリストを眺め直し、明らかに今の自分の人生が当時と変わっているのを再確認した。
私は人生の心残りをやり直したい。決してそのままにして死にたくない。物心ついた時から1日も歌わない日はなかった。今度こそ完結させたい。やっぱり歌いたい!ステージに立ちたい!声を限りに歌いたい!もう駄目だ、その思いに二度と蓋はできない!
思い出の曲の譜起こしを誰かに頼もう。「マンマ〜コニー・フランシス版」、幼い頃に歌った曲を、もう一度この声で歌ってみたい。
美沙落合
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