今日はビジネスマンのための交流分析入門。人生脚本の講。

側から見てどんなに不具合の多い生き方に見えても、その人はそのやり方で今日まで命を繋いで来た。本人にとってのその生きる術を手放すのは、それがたとえ幸せに至る道だとしても、無意識下に怖れを持つ。うまくいきかけては、それを台無しにするようなどんでん返しをしでかしてしまうのを、精神分析の言葉で「反復脅迫抵抗」と呼ぶ。私たち臨床家が最も苦心するのはこのことだ。

ある人や出来事との出会い、学びによって、人生の変わる人がいる。片やそれでも変われない人がいる。自律的な生き方に転換した人は、人生脚本を書き換えたのか、それともその出会いによって人生が大転換するのも、無意識の脚本に既に書かれていたことなのか、私には今もってその結論が出せないでいる。

私は過酷な子ども時代を過ごしたが、多くの人の援助を受けて、今は曲がりなりにも幸せを手に入れている。それは、私が人生脚本を書き換えたのか、それとももともと私の脚本が、様々な出会いによって建設的なものとなるように書かれていたのか?

どんな破滅的な人生を送った人にも、恐らく人生のどこかでは、かつて誰かの援助の手が差し伸べられたことがあっただろう。その手を掴むか、見過ごして掴まないでしまうかは、本人が決めている。私たち援助者には、手を差し伸べることはできるけれど、「誰かを救う」ことはできない。それを肝に銘じておかないと、援助職は務まらない。

どんな人生を送った人にも、「それは駄目だ、間違っている」と言い切ることは、その人の生きてきたこれまでの歴史を否定することになる。そんな状況下でも、辛くも生き延びてきたその人の生きる力を肯定し、「苦しい中、よく生きていてくれたね」と尊敬と労いの気持ちを持たなければ、クライエントは心を開いてはくれない。

人の人生の構えには、その人にしか、時によってはその人にすらわからない動機がある。その動機に立ち至り、寄り添う心を持つことが、即ち「傾聴」だ。目に見える問題行動を責めても解決にはならず、その人の問題行動の裏側にある真実の動機に目を向けることが肝要だ。

苦手な人への対応も同じく、まずその人を無闇に避けるのではなく、正しく理解するために、こちらから主体的に関わろうとすれば、思いがけず道の開けることがある。尤もどんなに頑張っても分かり合えない相手もいるから、無理に仲良くする必要はない。決別することが双方にとって幸せなこともある。ただ、知らないで誤解したまま関係を悪くするのは、お互いにとって不幸だ。手立てはただ一つ、相手がどうあろうが、こちらは偽りのない本心を伝えることに尽きる。それで歩み寄れないのなら、それは相手の問題だ。誰も相手を自分好みに支配することはできない。

「決して分かり合えないということが、人間同士を繋ぐ唯一の鍵だ」と言ったのは太宰治だったか。別々の人生、別々の脳みそを持って生きている私たちは、「違う」ということを前提に、知る努力を重ね、想像力を駆使し、時には勘違いから結ばれたりしながら、この不思議な「人間関係」というものに支えられて今日まで生きてきたのだ。

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美沙落合

美沙落合

一般社団法人日本イーブンハート協会 代表理事 イーブンハートスクール校長 心理カウンセラー、フィトセラピスト、アートセラピスト イベントプロデューサー
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