明日はちょっと久しぶりの歌のレッスン。ライブのレパートリー、相変わらず悩む。困ったな、と言っていたら、珍しく娘「カラオケ付き合ってあげようか?」へー、今夜は嵐になりゃせんか?

私は殆どカラオケに行かないので知らなかったが、カラオケボックスって、みんな色々なことに使っているらしい。ジャズのカラオケも結構あるそうで、ジャズのライブをするシンガーで個人練習に使っている人もいるし、たまには結婚式のスピーチなどの練習をする人もいるのだとか。

歌は物心ついた時から四六時中歌っている。私はおっそろしく厳しい明治女の祖母に育てられたが、その祖母が歌が好きで、膝の上でよく古い日本の唱歌を歌って聞かせてくれた。祖母が唯一優しさを見せてくれる時だった。

中学生の時、正課クラブで合唱をやり、全校生の前で、後輩と二人のパートに抜擢されて歌ったのが、人前で披露した初の経験。小学校入学当初からずっとひどいいじめを受けてきて、学校生活で初めて人からの承認を得た体験だった。大袈裟に聞こえるかも知れないが、私はその体験に命を救われた。

人に習ったのは就職してから。友人の誘いで合唱団に入り、オーケストラをバックに様々なクラシック音楽を歌う。そこでボイストレーナーとして出会ったオペラ歌手の師匠にお勧め頂き、個人レッスンに通い、ベルカント唱法の端くれを齧る。お産で中断したが臨月ギリギリまで歌っていた。

亡き父は美声の持ち主、放蕩者で殆ど一緒に暮らしていないが、たまに帰ってくると、惚れ惚れするようなテノールで、よくラテンやカンツォーネ、ジャズを唸った。父のジャズやラテンのレコードは、私の子守唄だった。34歳の時、亡くなった父の四十九日を済ませてすぐに、ジャズの師匠に出会う。往年の名ピアニストの師匠の率いるジャズトリオをバックにステージに立ち、後に神戸にも仲間を得て、師匠が東日本大震災の年に亡くなるまでの十年余り、年に数回ライブで歌った。ジャズだけでなく、ボサノバ、ラテン、シャンソンから演歌まで、思いつくものを何でもやらせてくれる師匠だった。

随分可愛がって頂いたが、その代わり、師匠の好みに合わせて、長く地声でパンチを効かせた歌い方をしているうちに、喉が硬くなって声が出にくくなっていた。しばらく歌から遠のいていたら、ある時ふと、ファルセットが楽に響くのに気づく。その頃から始めた朗読コンサートの合間で、美しい東西の歌曲を選んで歌うようになった。ボイスセラピーに出会い、コンテンポラリーダンサーと組んで、踊りと合わせて完全即興のボイスパフォーマンスを披露したイベントもある。

そんな変遷を辿り、自分の声が何のジャンルに向くのか、さっぱりわからない。人に尋ねてもそれぞれ意見が違う。この度歌を再開して、自分の歌がどんな個性を持っているのかに向き合ってみたい。

11月のライブの準備が始まるまで、人の思惑に左右されず、しばらくの間、実験的に思うままに歌いたい。

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美沙落合

美沙落合

一般社団法人日本イーブンハート協会 代表理事 イーブンハートスクール校長 心理カウンセラー、フィトセラピスト、アートセラピスト イベントプロデューサー
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